2005年9月から2009年3月まで、3年半のミラノ駐在時代の話。前回からの続き。
2005年9月に宇都宮からイタリア、ミラノに転勤しました。イタリアは本当にカオスの国で大変なことばかり。。。今日はイタリアの車の話です。
2005年9月、ミラノに赴任したその日にまずはオフィスに行きました。受け入れ後、車を買うまでにカンパニーカーを貸してもらいましたがビックリ!
イタリアではほぼ100%、マニュアル車のみ、オートマチック車はほぼゼロ。当然カンパニーカーもマニュアルで、赴任当日からいきなり左ハンドルのマニュアル車を載ることになって焦りました。上司は、今日だけは道が分からないだろうからホテルまで私の車で誘導してあげるけど明日からは一人で車で通勤してね、とのこと。
慣れない左ハンドルのマニュアル車を乗りつつ、道も覚えなくてはならず、もう必死で運転しました。しかもイタリア人の運転は荒いので怖かった!カーナビもこの当時はほとんど普及されていなくて。。。毎日地図を見ながら道を覚えました。
また、ヨーロッパ全体に言えることなのですが、都心から離れると信号があまりなくて、交差点は信号無しのロータリーになっています。ロータリーは中に入って回転している車が優先!なので、自分がロータリーの中に入るタイミングが難しくて、ぶつけそうで慣れるまでは本当に怖かった。。。
ちなみに、イタリアでもオートマ車はあるようなのですが、私がミラノにいた3年半の間、一度も見たことはありませんでした。もしオートマ車が欲しい人は、まず新車で特別オーダーをして、オプション代として100万くらいもかかり、しかも2年ほど待ってようやくオートマ車が手に入るそうです。。。。ホントかよ!と突っ込みたくなりますが、イタリアではその他にも、うそだろ!ギャグだろ!というような本当のことがたくさんありました。追って紹介していきますね。
イタリアの生活は今思えば、楽しいことと、つらいことが交互に頻繁にやってきて、まるでジェットコースターに乗っているような生活でした。例えば、美味しい料理、ワイン、どの町に行っても素晴らしい町、観光地、など楽しいことがあるかと思えば、、、身に覚えのない公共料金の罰金が請求されたり、意味不明の交通違反の罰金を請求されたり、イタリアの子供たちには差別的な発言をされたり、、、などなど。
ミラノ赴任の後に行ったオランダとは正反対でした。オランダはいつもゆったりと安定した生活を送ることができて、平坦できれいに舗装された道路を走り続けているという感じでした。ただ、オランダは食事はまずい、どの町も似たり寄ったりで特徴がない、海は寒くて入れないということでイタリアのような最高!ということはなかったですけどね。
子供が生まれる前ならハプニング覚悟でイタリア生活が楽しいでしょうが、子連れだと断然オランダの方が良いと思います。
これからもミラノ駐在生活の面白話を書いていきますのでよろしくお願いいたします。