サッカーW杯2026に出場するオランダ代表といえば、鮮やかなオレンジ色のユニフォームでおなじみです。でも、なぜオランダ代表はオレンジなのでしょうか?その答えは、なんと国王の名前にあったのです。
オレンジ色の秘密は「オラニエ=ナッサウ家」にあった
オランダ王室の正式名称は「オラニエ=ナッサウ家(Huis Oranje-Nassau)」といいます。「オラニエ(Oranje)」とはオランダ語で「オレンジ」を意味する言葉です。

つまり、サッカーオランダ代表のオレンジ色は、王家の名前そのものを体現しているのです。現国王のウィレム=アレクサンダーもこの名門王家の系譜を継いでおり、国民の間では「王家の色を身にまとって戦う」という誇りが根付いています。
オランダ語で叫ばれる「ホップ・オランイェ!(Hup Oranje!)」という応援の言葉には、国王の名を冠した色への深い愛着が込められているのです。
国王誕生日はオランダ最大のオレンジ祭り!コーニングスダフとは
オレンジへの愛は、サッカーだけにとどまりません。毎年4月27日はオランダ国王の誕生日「コーニングスダフ(Koningsdag)」として国民が一斉にオレンジに染まる祝日です。

アムステルダムの運河にはオレンジ色の服を着た人々を乗せた船が所狭しと並び、街中がオレンジ一色に。広場や路上では朝から夜中まで音楽が流れ、ビール片手に踊り明かすどんちゃん騒ぎが続きます。
オレンジのTシャツやハット、ボアで全身を飾った市民が街に溢れ、フリーマーケットや野外コンサートが至るところで開かれます。サッカーの試合だけでなく、「オランダ人=オレンジ」という等式が年に一度この日に最高潮を迎えるのです。

この写真のような熱狂的な光景が、オレンジという色の持つ国民的エネルギーをそのまま体現しています。
南フランス発!「オランジュ」という地名がルーツ
「オラニエ」の由来をたどると、現在のオランダではなく、なんと南フランスにたどり着きます。フランス・プロヴァンス地方に「オランジュ(Orange)」という小さな都市があり、中世ヨーロッパにはここに「オランジュ公国」という領地が存在していました。
16世紀、ドイツの名門ナッサウ家の貴族がこの公位を相続し、「オラニエ公(Prins van Oranje)」を名乗るようになりました。それ以来、「オラニエ」という名はナッサウ家と切っても切れない関係となり、現代のオランダ王室にまで受け継がれています。
国旗の赤・白・青にオレンジが含まれていないのに代表色がオレンジなのは、こうした歴史的な事情によるものです。
スペインと闘ったオラニエ公ウィレムの勇姿
オランダとオレンジの結びつきを語るうえで欠かせないのが、「オラニエ公ウィレム(Willem van Oranje)」の存在です。16世紀、オランダ(ネーデルラント)はスペインの厳しい支配下に置かれていました。重税と宗教弾圧に苦しむ民衆のために立ち上がったのが、ウィレムです。
1568年から約80年に及ぶ独立戦争を指揮し、国民の希望の象徴となりました。1581年には北部7州が「ネーデルラント連邦共和国」として独立を宣言し、ウィレムは初代総督となりました。惜しくも1584年に暗殺されてしまいますが、「オランダ建国の父」として現在も国民に深く敬われています。彼の名前「オラニエ」こそが、オランダの誇りの色の原点なのです。
オレンジ軍団が輝いた栄光の歴史
「オレンジ軍団」の異名を持つオランダ代表は、その鮮やかなユニフォームと同様に、世界サッカー史に輝かしい足跡を残してきました。1974年・1978年のW杯ではヨハン・クライフらを擁した「トータルフットボール」が世界を席巻しましたが、2大会連続で準優勝という悔しい結果に終わりました。
しかし1988年のUEFAユーロではついに頂点に立ち、悲願の欧州制覇を達成します。2010年の南アフリカW杯でも決勝進出を果たし、オレンジ旋風を巻き起こしました。こうした歴史が積み重なるたびに、オレンジ色はオランダ国民にとってさらに特別な色になっていきました。
W杯2026でオレンジは世界の頂点に輝くか
サッカーW杯2026は北中米(アメリカ・カナダ・メキシコ)を舞台に開催されます。オランダ代表はグループFに入り、日本・スウェーデン・チュニジアと同組となりました。
現在はコーディ・ハカポやデンゼル・ドゥンフリースといった実力派が揃い、悲願のW杯初優勝を狙っています。あの鮮やかなオレンジ色には、南フランスの小さな公国から始まり、独立戦争を経て国民の魂になった400年以上の歴史が詰まっています。
グループFには日本代表も入っており、日本サポーターにとっても目が離せない対戦が待っています。W杯2026の舞台で、誇り高きオレンジが世界を熱狂させる日が楽しみです。


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